1年間の沈黙を経て、日本代表が復活した。
そんな印象を受ける2007年7月21日のオーストラリア戦だった。


1年前、2006年6月12日、ドイツの地にて日本代表はオーストラリア相手に惨敗をした。その後、ドイツでの2試合のグループリーグを残していたとは言え、グループリーグでの対戦相手や対戦順を考えれば、日本代表のワールドカップは事実上オーストラリア戦の2点差による敗戦で終わっていたと言っても良いだろう。その後のクロアチア戦やブラジル戦で一瞬のきらめきを見せたが、結局のところ前の日本代表チームの4年間の集大成がドイツでの初戦であるオーストラリア戦であった。それは無残なものだった。


無残。そう、残るものが無い程ショッキングな敗戦であった。体格差に劣ることは試合前から分かっていたことだが、暑い最中の試合開始時間は日本に有利になると思われていた。しかし、時間の経過と共に苦しくなっていくのは幸運な形で先制した日本代表であった。そして悪夢のような時間が訪れる。同点にされ、息つく暇もなく逆転される。表情を失う日本代表の選手たち。4年間の集大成と言うにはあまりにもあっけない幕切れだった。


その後を受けてスタートした現在の日本代表。昨年の発足時に大きくメンバーチェンジをした印象があるが、アジアカップでのオーストラリア戦のスタメンを見ると実はそんなに変わっていない。


2006.06.12

__高原__柳沢__
____中村____
三都主_____駒野
__福西__中田__
_中沢_宮本_坪井_
____川口____





2007.07.21

___高原__巻___
遠藤_______中村
__中村憲_鈴木___
駒野_阿部_中沢_加地
____川口_____



スタメンの11人中5人は同じメンバーであるし、アジアカップでのスタメンの中でも巻、遠藤、加地の3人はドイツにいた。実に8人がドイツワールドカップでの日本代表と同じメンバーだったのだ。
世代交代を推し進めている感のあるオシム監督ではあるが、タイトルの懸かったアジアカップの中で、結果を出すためのメンバーを選んでいる。


それでは、2006.06.12の日本代表と2007.07.21の日本代表を比べた時に、どこに違いがあったのだろうか。「監督が違う」とか、「コンディションが違う」というのはこの際脇に置いておく。私はドイツワールドカップのメンバーにはいなかった阿部、中村憲、鈴木の起用に大きな違いが隠されているように思えてならない。対人に強い阿部をセンターバックに起用し、守備に重きを置いた鈴木を中盤の底に置く。“パサー”の印象の強い中村憲、遠藤、中村俊には運動量を求める。水を運ばない選手には運ぶことを求め、結果的に水を運べる選手を多数中盤に配置したのが大きな違いではないだろうか。


昨年も今年も彼我の体格差は変わらない。そんなものは1年や2年で変わるものではない。最初に考察したように、実はメンバーも大きくは変わっていない。変わったのは選手の意識の部分であり、危機感の部分でもある。“水を運ばないと日本代表に残れない”という危機感が選手を突き動かし、チームを変えたのだ。それも劇的に。


もちろんそこには監督の揺るぎない選手に対する要求が大きく影響しているのだろう。“人もボールも動くサッカー”という言葉は、攻撃のためにはボールを動かさなくてはならないサッカーという競技の中で、ボールと同じくらい選手にも動くことを求めるサッカーであり、動かない選手は使わないという監督の明確なメッセージでもある。この言葉を基にチームを作り、そして日本代表は変わった。相手に退場者が出るという要素はあったにしろ、1年前には無残な思いを味わった相手を終始圧倒したのだ。残念ながらPK戦に至る前に決着をつけることはできなかったが、それでも内容的にオーストラリアを上回っていたことは誰の目にも明らかであろう。ショートパスを小気味良くつなぎボールを動かし、そのボールの外側を選手が回りこんで動いていく。体格差で劣り俊敏性で優るオーストラリアに対し、日本が採るべき最善の方法だったのではないか。常に数的優位を保ち、相手を圧倒する。もちろん不用意にボールを奪われれば人数をかけている分カウンター攻撃を受けやすいが、それは仕方が無い。リスクのないところにチャンスは生まれないのである。


日本が日本らしく、日本の優位性を生かし、オーストラリアと対戦する。私はこんな日本代表が見たかったのだ。願わくは90分で決着をつけて欲しかったが、それは次の機会に。
13ヶ月という時間を経て、日本代表が前に進み始めた記念すべき試合であった。


上記文章はフィクションであり、実在する個人・団体とは関係がありません(笑)。
ちょっと空いた時間に昨日の試合を”番号”誌風に書いたらどうなるのかな、と思い書いてみました。