勝って良かった!!

先日ケット・シーさんにお会いした時に、「最近エルゲラさん、”勝って良かった〜”しか書いてませんね」と笑顔で突っ込まれたのですが、だって本当にそうなのですもの。それしか書けませんって(笑)。


私はJ開幕前から読売クラブを応援していまして、埼玉在住ながらJ開幕時に何の疑問もなくヴェルディ川粼を応援していました。もちろん地元の浦和というクラブも気にはなりましたが、その時点で心はヴェルディに奪われていましたから、地元以上の気持ちにはなりませんでした。
そしてヴェルディはJ開幕直後の黄金期やそれ以降の低迷期を過ごし、2年前にJ2降格…。クラブの華やかな時もどうしようもない時期もそれなりに見てきたわけです。昨年のJ2初年度はACLの同時挑戦などという無謀なシーズンを過ごし、どちらもまったく結果を残せずに無残な形で終わりました。そしてラモス監督2年目の今シーズン、オフの大型選手補強を経て華々しくスタートを切ったものの、まさかの7連敗。シーズン中に地獄に近いものを見せられました。


そんな苦しい時期を過ごし、ラモス監督が哲学を捨て現実を見ながらチームを立て直し、まがりなりにも第4クールで昇格を狙える位置にまでつけてくれました。そういう状況の中でヴェルディの毎試合を見ていると、もう「内容がどう」とかはどうでも良くなってきます。結果が全て、勝ち点が全て。「内容は良かったけれど、運がなかった」とか、「内容は勝っていたけれど、勝負で負けた」ということには何ら意味が見出せない心境です。とにかく、どんな形でも良いから勝ち点3が必要で、勝ち点がないと意味がない。とにかく、結果が全て。全ての試合を終えたときに、3位に対し勝ち点1差の4位だったとしても、そこに何の意味もない。「来シーズンにつながる戦いができた」というのは、嘘っぱち。ヴェルディが来シーズンJ1に上がるにしろJ2に残るにしろ、また大幅にメンバーも入れ替わるし、監督も変わるかもしれません。とにかく、今シーズンの結果が全て。


そう考えると、試合を見終わった直後の感想は「勝って良かった…」しか思い浮かばないのですよ。もちろん、「こういう部分でヴェルディの戦い方が相手に対し効果的にはまった」とか、「今日は勝ったけれど、この部分が不安」というのは感じていますが、どうもそういうことを文字にする意味を見出せなくなっている自分がいます。


私はヴェルディを応援していますが、家族は大宮を応援しています。モロに地元なので分裂応援もしょうがないのですが、今シーズンは大宮も降格の危機にさらされています。こちらも既に試合の内容にはまったく意味がない状況に陥っています。2年前のヴェルディと同じように、残り試合が減っていく中で、試合を終えた結果勝ち点をいくつ取れたのか、それだけが意味を持つ戦いです。「よくやった」とか「善戦した」という言葉はまったく意味を持たない戦い。勝ち点を上積みできなければ、どんなに良い試合をしても結果は降格です。


また、もうひとつの地元チームである浦和のACLの試合などもテレビで見ていますが、こちらも現在「結果が全て」という痺れる戦いをしていますね。ACLというJのリーグ戦よりも優先度の高いカテゴリーの中で、準決勝にまで勝ち上がって戦っている試合について、内容を語っても意味がないのではないか。オウンゴールだろうが、疑惑の判定だろうが、とにかく今の浦和にとっては次のステージに進むことが全て。H&Aの2試合を通じて負けてしまったらそこで終わりです。負けてしまっては「良い内容の試合だった」という言葉は何の意味も持たない。


自分が心から応援するヴェルディと地元の2チーム、戦いの形や場所はそれぞれ違いますが、どのチームも痺れる試合を戦っています。そんなものを立て続けに見ていると、言葉として「勝って良かった」というような当たり前の言葉しか、ほんと出てこないんですよ。ただ逆の言い方をすれば、優勝や降格や昇格など、チームの根幹に係わる結果を迎えるような痺れる試合を戦えていないチームのサポに比べたら、何倍も濃密な時間を過ごせていてとても幸せなのかもしれません。昨年の今頃のヴェルディには希望も絶望もありませんでしたから。


サッカークラブを応援するという、基本的には日々の日常生活にまったく影響を与えないはずの部分で、こうもジェットコースターのように気分のアップダウンを経験し共有できるということは、なんと幸せなことか。もちろん結果は悔し涙かもしれないし嬉し涙かもしれないし、そればっかりは終わってみなければ分かりません。でも、そこまで感情移入できるというチームを持てることは、とても幸せなことだと感じています。
イクラブがあるということは、本当に幸せだと感じています。そのクラブが嬉し涙をプレゼントしてくれるのなら、最高です。