自制と規制

2008.5.17という日は日本のJリーグに関わるクラブ運営者やサポーターにとって、忘れてはいけない日になってしまいました。この日に埼玉スタジアムで起こった出来事に対し、触れずにスルーすることはできないと思いつつ、さりとて当日その場所にいたわけではない私は何を書けば良いのだろうと考えてしまいました。マスコミによる報道が必ずしも真実を伝えているわけではないでしょうが、でもこの事件をフォローするサッカー好き以外の方にとっては、「スタジアムは危険な場所だ」という認識だけが残ってしまうのでしょう。当日現地にいた方などのBlogの記述で、報道されていない部分も明らかになっていきましたが、結局あそこまで騒動が大きくなると、単一の事件と言うよりは複合的に様々な事件が同時進行してしまったでしょうから「これが決定的事実だ」というものは出てこないのかな、とも考えます。


現時点でスタジアムに集う人々の中に、サッカーを応援する人とサッカーを見る人のほかにただ騒ぎたい暴れたいだけの人がいること、というのは避けられないのかも知れません。応援したい人と見たい人だけなら、それらの人々の理性による”自制”だけで安全なスタジアムを確保できるかもしれませんが、騒ぎたいだけや暴れたいだけの人々には自制などということは期待できない。結局は”規制”という手段をもってしか対応できないのではないか、そんな時代になってしまったことが悲しいです。


スタジアムの中だけではなく、社会の中には一定の割合で必ず自制できない人はいるのかもしれませんが、今までのスタジアム運営は自制できる人を対象に可動式の柵などを設置してきたのだと思いますが、これからは自制できない人を対象に半永久的な構造物としての柵で規制しなければならないのでしょうか。灰皿なども可動式ではなく、絶対に投げつけられない据付のものにしなければいけないのでしょう。資金的に余裕のあるクラブならそのような対策もたやすく取れるでしょうが、このような問題が1回起きると資金的に裕福ではないクラブまでそのような運営をしなければいけなくなるなど、影響は当事者だけでは済みません。ましてや今回の騒動によるリーグ全体のイメージダウンまで考えると、本当に悲しい出来事です。


物を投げつけるなどという行為は論外としても、果たして応援というくくりの中で相手を誹謗中傷するようなコールまで許しても良いものなのかどうか、考える時期にきているのではないでしょうか。自分たちのチームを応援するコールと相手チームを貶めるコールは同じように許されても良いものなのかどうか。相手に対する侮蔑や挑発が今回のような騒動の源泉になっているのではないか。どこまでのコールはOKで、どこからのコールを自制するのか。ここでも結局自制と規制なんですよね。コールに限らず、弾幕などでも相手チームを侮蔑するようなものは必要なのかどうか。運営者に規制されなければ分からないのか。


不快感を表現する意味でブーイングが起きるのはしょうがないと思います。ブーイングまで規制や自制する必要はないと思うけれど、それ以上に積極的に相手を挑発したり侮蔑したりする行為が必要なのかどうか。昨シーズンなどはヴェルディに対し「八百長」などというコールが浴びせられましたが、そのようなコールをして誰が得をするのか。そのようなコールが誰かの力になるのか。審判の判定が微妙だったり誤審に思えたりすることもありますが、それはまた別の話であって、そのような誤審に負けるなと自分たちのチームをより応援するほうが、選手たちの力になるのではないか。相手を侮蔑することで自分たちの気持ちがすっきりするだけではないのか(実際にはすっきりしないと思うけれど)。


繰り返しますが、他者に物を投げつけるなどという行為は論外です。それはスタジアムの中であれ外であれれっきとした傷害事件なので管理者が退場させるなり警察に引き渡すなりして排除しなければなりません。そのような暴力行為ではないけれど、結果的に騒動を引き起こしかねない行為をどのように自制するのか。スタジアムの中は規制されなければ分からない愚か者の集まりなのか。私はそうは思いません。大部分の人が社会を構成する一人として普通に生活を送っている人々であり、スタジアムの外では良識ある自制心を持って暮らしている人々だと思うからです。スタジアムの中では何でも許されるわけではない。そのことに今気が付かないと、結局はアウェイ側は金網で囲まれて規制の中でしか過ごせなくなってしまう。試合中は敵味方ではあるけれど、試合後にはサッカーファミリーとなれないものなのか。今は自制で済ませられるか規制を強化しなければいけなくなるかの境目にいるのではないか。
何だかまとまりがありませんが、そんなことを1週間考えています。