敗因か?

昨日今日の2日間でこの本を読みました。

敗因と

敗因と


意識的に忘れようとしていたドイツでの惨劇が鮮明に思い出されてしまいました。
この本ではドイツでの惨劇の敗因をおおよそ本大会中の選手たちの心理状態に求めているように感じられます。(一部それ以前からの崩壊の兆しについても触れていますが…)でも、私にはやはり本大会前の4年間に渡りチーム崩壊の予兆は感じられていたし、日本全体が意識的にか無意識にかは分りませんが、チームが崩壊するだろうという心配から目をそむけていたようにしか思えません。逆に言えば、あの程度の準備でワールドカップ本大会で戦えると思っていたのなら、甘すぎる。


本の感想としてはチーム内の選手からのインタビューや国際的な広がりを持つ方からのインタビューや、件の日本料理屋さんからの証言や対戦相手であったヒディング監督の証言を読めただけでも面白かったです。著者グループの書き方は、ナンバー誌時代からのあえてドラマティックに取り上げ主役となる選手を中心にストーリーを進める従来の記述を超えるものではないように感じましたが、それでもここまで真正面から一番大事なはずのワールドカップ本番でチームが空中分解していた事実に正面から取り組んだ姿勢は評価に値すると思います。


ただ、やはり何かが足りない。ドイツ大会での日本代表の無様な戦いの責めの大部分を選手の心理的未熟さや日本サッカー界の甘さに求めるのは違和感があります。やはりチームの基本的な骨格である戦い方の基本となる部分、例えばボールを奪う位置はどこにするかなどは監督の哲学が大きく反映される部分ですし、それが示されたのが崩壊直前の(すでに崩壊していたかもしれませんが…)クロアチア戦前日というのでは、それまでの4年間は監督は何をしていたのか、ということになる。もちろん、だから選手たちに責任がないなどとは言いませんが、敗戦の責任を求めるなら、あのような監督を選んでしまった協会(独裁会長か…)が40%、何らチームの方向性を示せなかった監督が30%、それに対して批判すらできなかったメディアや国民が20%、実際に自分たちで何も出来なかった選手が10%、そんな割合に感じています。


2002年の大会直前に、当時の代表監督はなぜ秋田、中山の両ベテラン選手を入れたのか。2006年を迎えるにあたって、直前ではないけれど藤田、三浦アツという選手がなぜ外れていってしまったのか。その時のタイミングというものもあると思いますが、監督が試合を戦う以前にいかにチームの心理的要因を重要だと考えているか、ピッチ上でベストパフォーマンスが出せるためには試合前の準備がどれだけ大切なのかが分っているのか、監督の仕事のうち90分の試合中の仕事の割合と試合に至るまでの準備期間の仕事の割合のどちらが重要なのか、それらの監督としての基本知識が明暗を分けたと思っています。そして、その根本的原因は監督本人ではなくて、サッカーを甘く見てそのような監督を選び検証すらしなかった日本サッカー協会であると考えています。


2006年を振り返るこの時期にこの本を読んだのは良かったのか悪かったのか分りませんが、返す返すも4年間を無為無策で過ごしてしまったことが悔やまれます。もし、オーストラリア代表の監督がジーコ監督で日本代表の監督がヒディング監督だったら…、考えてどうなることでもありませんが、初戦の勝利の確率はどうなっていたのでしょうね。

関連リンク
書評 「敗因と」 KET SEE BLOG

以下追記

この本を読み終わってから1時間半が経過しました。読み終えた直後から様々な想いが頭の中をぐるぐる回っていますが、今にして思うのは2002年のチームは本当に組織が個を殺してしまっていたチームなのかということ。例えば左サイドのスタメンが小野選手で服部選手が後半途中から投入されれば、それは監督が何も言わなくても「さあ、リードしたまま店仕舞いだ」というメッセージだし、小野選手に代わって三都主選手が出てくれば「シフトアップして攻撃的にいくよ」というメッセージだと選手全員に伝わるでしょう。それは決して組織が個を殺していたことではないし、そのように役割が明確になることで小野選手の個性も服部選手の個性も三都主選手の個性も明確に出ていた。それはセンターバック森岡選手と宮本選手の関係でも同じで、その選手によって守り方の味付けは違っていても、料理そのものが変わるわけではなかった。料理自体のメニューは監督が決めることで、それに対して反論はできないけれど、味付けの部分では選手の個性が出ていた。


しかし、料理自体を選手が決めるような状況になれば、洋食が好きな選手もいるし和食が好きな選手もいる。それらが決らないことには、味付けどころの騒ぎではない。2002年のチームでは監督がバッシングの対象になることで、中田のチームか中村のチームかなどという料理メニューが決らないなどということやDFラインを高くするか低くするかなどという事態は起こらず、味付けを問題にしていた。しかし2006年のチームは中田のチームか中村のチームかも見えないアヤフヤなままだしDFラインの位置すら決らないままで、選手そのものがバッシングの対象になってしまった。問題はバッシングの対象が誰になることかではなく、最大限有効な結果を出す為に一番有効な方法は何かということを考えつくしたのが2002年のチームで、それがアヤフヤなまま本大会に突入してしまったのが2006年のチームなのではないか。


誰の責任とかそういう問題ではなく、まったくの準備不足。組織vs個などという的外れな不毛な議論に惑わされて、組織と個の最良のバランス点を見つけることを一切放棄した準備期間。それらの問題が整備されず一切手付かずで本大会に臨んでしまった未熟さ。それが2006年の敗因と思っています。個を生かすための組織であり、個があってこその組織である。役割が整理されてこそ選手は最大限の力を発揮できるし、いくら力のある選手たちでも、やることが全員バラバラなら持てる力は発揮できない。それらの力を結集させて同じ方向に向かせるのは監督の仕事だし監督の能力である。その部分のジーコ監督とヒディング監督の力量を比較すれば、初戦の結果は驚くべきものではなく必然なのではないか。
読み終わってから、こんなことが頭の中に浮かんでいます。